阿修羅掲示板の投稿の中でこれはと思ったものを転載します。


by wayakucha

カテゴリ:ジョン・マケイン( 1 )

共和党マケイン氏支持率、ジュリアーニ氏抜きトップに【読売】
http://www.asyura2.com/07/kokusai1/msg/572.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 1 月 12 日 13:24:10: YdRawkln5F9XQ


共和党マケイン氏支持率、ジュリアーニ氏抜きトップに【読売】
米大統領選
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080112i103.htm?from=navr

 【ワシントン=五十嵐文】米CNNテレビが11日に発表した米大統領選に関する全国世論調査(9~10日実施)によると、共和党ではジョン・マケイン上院議員の支持率が昨年12月の前回調査13%から21ポイント増の34%に跳ね上がり、同党の大統領選候補中、初めて全米支持率でトップに立った。

 8日のニューハンプシャー州予備選でのマケイン氏の勝利が、全米規模での支持率増につながった形だ。

 これまで全米支持率で首位を維持していたルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、前回24%から6ポイント減の18%となり、3位に沈んだ。序盤2州での選挙運動を事実上、見送り、後半戦にかける戦略が響いたと見られる。2位は、今月3日のアイオワ州党員集会を制したマイク・ハッカビー前アーカンソー州知事の21%、4位はミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事の14%だった。

 民主党では、ヒラリー・クリントン上院議員が、前回より9ポイント増の49%で首位を維持する一方、バラク・オバマ上院議員も前回比6ポイント増の36ポイントとなり、序盤2州を引き分けた両氏による「一騎打ち」の構図が数字に表れた。

(2008年1月12日11時5分 読売新聞)

クリントン氏とマケイン氏、支持率急伸・全米世論調査【日経】
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080112AT2M1200Y12012008.html
 【ワシントン=丸谷浩史】米大統領選の世論調査で、ニューハンプシャー州予備選を制した民主党クリントン、共和党マケイン両候補への支持が全国レベルで急伸した。11日にCNNテレビが発表した世論調査によると、民主党はヒラリー・クリントン上院議員が49%で、オバマ上院議員の36%を抑えた。共和党もマケイン上院議員が34%と、昨年12月から一気に21ポイント上昇してトップに立った。

 アイオワ州党員集会からニューハンプシャー予備選結果までを米メディアは連日大量に報じた。アイオワで3位に沈んだクリントン氏が涙を見せ、事前世論調査での2ケタの差を逆転したことや、マケイン氏も「カムバック」を宣言したことなどに有権者の関心が高まったとみられる。

 民主党はクリントン氏が前月から9ポイント伸び、オバマ氏との差は10ポイントから13ポイントに開いた。エドワーズ元上院議員は12%で3位だった。(12:12)


ジョン・マケイン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3
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ジョン・マケイン のその他の用法についてはジョン・マケイン (曖昧さ回避)をご覧ください。

ジョン・マケインジョン・シドニー・マケイン3世(John Sidney McCain III、1936年8月29日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。パナマ生まれ。海軍兵学校卒業。連邦下院議員(1983年 - 1987年)、連邦上院議員(アリゾナ州選出、1987年 - )。2000年の共和党大統領予備選で、ジョージ・W・ブッシュ(当時テキサス州知事)と指名を争った。共和党員で保守派だが、党派にとらわれない一匹狼的な投票行動で知られる。外交・安全保障政策は政界でも最も強硬派で介入主義者である。2004年の大統領選挙では、民主党のジョン・ケリー候補がマケインを閣僚候補にしようとしたという説もあった。宗教はバプティストで、尊敬する政治家は同国のセオドア・ルーズベルト元大統領である。

著名な海軍提督の祖父と父をもち、マケイン自身も海軍士官としてヴェトナム戦争に従軍した。彼の息子は海兵隊員となっている。戦争をよく知る指導者、エリートのあるべき姿の実践と考えているようである。



目次 [非表示]
1 政策
2 2000年大統領予備選
3 2008年大統領選挙
4 外部リンク



[編集] 政策
自身の抑留経験もあり、キューバ・グアンタナモ米軍基地の収容所などを強く批判、待遇基準を定める修正案などを提案したことがある。

特に人権問題には強い関心を抱いており、ブッシュ大統領の「自由と民主主義の価値観を世界に広める」「全ての圧制の打倒」を熱烈に支持している。またイラク戦争についても「フセイン独裁打倒」という点で支持を表明しており、2002年にはジョー・リーバーマンと共に、イラクへの武力行使を可能とする決議を提出・成立させている。共和党政権のイラク政策への批判が強まった2006年中間選挙においても一貫して米軍の増派を主張し続けた。マッケインの基本的な安全保障・中東政策は、大筋でジョージ・ブッシュ大統領やネオコン勢力と共有するものであり、中東全域の民主化はサウジアラビアの絶対王政を転覆させてはじめて成立すると考えている。イランの核武装阻止のための限定的空爆も支持している。9・11以前は共和党内で傍流だった介入主義者であり、1999年のコソボ紛争の際は地上軍派遣を説いた。これは、当時のユーゴスラビアを支配していたソロボダン・ミロシェビッチ大統領の独裁体制への激しい批判と、同国(現在はセルビア)に強い影響力を有するロシアの政治的影響力を削ぐことが目的で、マケインはウラジーミル・プーチンが政権を掌握した後の、メディア規制・言論・政敵弾圧、覇権主義的な資源外交についても批判を強めており、「ロシアにはG8の一員としての資格はない」とも述べている。また、1999年・秋にCTBT批准の是非が米上院で論議となると、ジェシー・ヘルムズと共に対応に慎重だったトレント・ロット院内総務(当時)を説得、否決への流れを作る。またアカーエフ政権下のキルギスで野党系新聞が政府による妨害を受けたことに対して、キルギス外相に直接電話で抗議して止めさせたという。

北朝鮮による拉致問題にも強い関心を持っている。また、北の核の脅威に対抗するために日本の核武装を容認すべきとの考えを示している。

日本との関連では、ミャンマー軍政に対する経済支援(小規模だが)を続ける日本政府に対して、当時の川口外相を批判した共和党上院議員の急先鋒であった。

変わったところでは、大の国際式ボクシングフリークであり、それだけではなくいわゆるモハメド・アリ法を成立させたり、それまで米国各州独自に分立していたボクシングコミッションを、統括・調整活動等を行うUSBAと、その全米統一ルール(ユニファイド・ルール)を制定・調整する機関であるABC(the Association of Boxing Commissions:アソシエーション・オブ・ボクシング・コミッション)の設立に寄与するなど、ボクサーの安全管理、プロモーター・マネージャからの搾取を防ぐ活動にも熱心で、活動し実践ている。しかしそのためか「UFC」などの大会が有名な、殴る、投げるなどすべてを認める「総合格闘技」には否定的で、それが生まれた1990年代、禁止運動の先頭に立った。


[編集] 2000年大統領予備選
2000年の大統領予備選挙では、ジョージ・W・ブッシュ・テキサス州知事(のちの大統領)と共和党の指名を争った。大きな基盤と資金・知名度を持つブッシュが圧倒的に優位と見られていたが、選挙運動を集中的に行っていたニューハンプシャー州の予備選挙で地元のマケインが大差で勝利し、ブッシュ陣営を驚かせた。この影響で党内の穏健派がマケイン支持にまわり、アリゾナ州やミシガン州でもマケインが勝利し、マケイン旋風という言葉が生まれた。しかし、ジム・ギルモア知事(当時)などが全面的にブッシュ支持で固まったことにより2月29日のバージニア州など3州での予備選で大差で敗北すると形勢は完全にブッシュペースに転ずる。3月7日の「スーパーチューズデー」で、大票田であるカリフォルニア州やニューヨーク州を含む各州での敗北後、選挙戦からの撤退を表明。共和党候補を断念した。同予備選ではヘンリー・キッシンジャー元国務長官やゲイリー・バウアー牧師などがマケインを支持していた。また、大統領選本戦で、ブッシュは予備選で大敗したニューハンプシャー州で勝利を収めるが、これはマケインとJ・C・ワッツ下院議員(現・CNNコメンテーター)が集中的に選挙運動を行いブッシュを支えたためである。ニューハンプシャー州の予備選は、かつては共和・民主とも選挙戦全体の試金石とされてきたが、近年は米国全体の保守化に伴いその比重は低下していると言える。1980年にはロナルド・レーガンが、1988年には先代ジョージ・ブッシュが緒戦のアイオワ州の党員集会で敗北しながら、同州予備選逆転で形勢を逆転し、そのまま本選を制した。1992年にはビル・クリントンがポール・ツォンガスに敗北を喫しながら、その後は連戦連勝。1996年には同州で敗れたボブ・ドールが共和党指名を獲得。そして、2000年に同州で大勝しながら最終的にはブッシュに大敗したマケインも同じである。

マケインはベトナム戦争で長く捕虜として拘束された。これについて、ベトナムに行く代わりに州軍に入ったブッシュが「彼は長い捕虜生活で頭がおかしくなっている」と侮蔑し問題となった。


[編集] 2008年大統領選挙
2008年の大統領選挙に向けて、共和党の最有力候補の1人となっている。米週刊誌タイムが行った2006年7月の世論調査では、次期大統領選で支持する人物として民主党のヒラリー・クリントン (47%) を抑えて 49% の支持を集めた。2007年2月28日、CBSテレビのトーク番組にて出馬を明言した。公式な表明は4月に行った。

ただ、2007年に入り、ジョージ・ブッシュ大統領が行った、米軍の2万人規模のイラク増派を全面的に支持したことから、支持率が急落している。増派後、同年4月にリンゼイ・グラハム上院議員やマイク・ペンス下院議員ら側近数名と実際にバグダッドを訪問しその大義を説いたものの、支持率回復には直結しなかった。帰国後マケインは「報道されない真実」と題するワシントン・ポストへの意見広告掲載も行っている。マケインはイラク戦争を一貫して支持する一方、同戦争を指揮したドナルド・ラムズフェルド前国防長官を「米国史上・最低最悪の国防長官!」と、激しく批判している。この批判は、ラムズフェルドの持論である「少数精鋭・ハイテク兵器至上主義戦争論」に対し向けられたもので、マケインは一貫してイラク平定には数十万人の兵力が不可欠と主張し続けていた。これは同時に米軍とりわけ陸軍がイラク戦争開戦以前から主張しながらことごとくラムズフェルドに退けられていた案であり、マケインの主張は文民統制により発言が制約される軍内部のかなりの本音が反映されているとも言える。また、エドワード・ケネディと共に推し進めた不法移民の合法化も、ジム・デミント上院議員ら共和・民主両党保守派の猛反発で廃案に追い込まれている。

逆風のマケインには思うように政治献金が集まらず、財政難から約150人いた陣営スタッフの50人以上を解雇するなど苦しい選挙戦を強いられているが、あくまで候補指名を断念する意向は無いようである。同じく共和党穏健派で同大統領選に出馬しているルドルフ・ジュリアーニは親友であり、イラク情勢が更に混迷し支持率低下が続いていれば、ジュリアーニの支持に回る可能性もあった。2007年8月のギャラップ社の調査ではミット・ロムニーにも抜かれ、4位にまで後退していた。ただ、前述の米軍増派が8月以降成果が見られイラク聖戦アル・カーイダ機構への打撃とバグダッドなどでの治安の改善が報じられると、支持はやや持ち直している。同年10月の米兵の戦死者は39人とこれまでになく小規模だった。また、11月の戦死者は37名に留まり、12月の戦死者は21人とその規模は更に下回った。11月7日には、選挙戦から撤退したサム・ブラウンバック上院議員がマケイン支持を表明した。12月17日にはイラクへの武力行使容認決議を共に提出するなど外交・安全保障政策を共有するジョー・リーバーマン上院議員がマケイン支持を表明した。イラクにおける米軍増派の影響を反映するかのように12月末のいくつかの調査では、序盤戦のニューハンプシャー州予備選での支持が急上昇、一部ではミット・ロムニーを抜きトップに立った調査もある。また、ボストン・グローブがマケイン支持を表明している。一時は脱落と目されていたマケインだが、全国レベルでも調査によってはトップに立ったものもある。

1月8日のニューハンプシャー州予備選で勝利を収め、共和党予備選はマケイン、マイク・ハッカビー、ロムニー、ジュリアーニの四つ巴の様相を呈している。
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by wayakucha | 2008-01-12 13:25 | ジョン・マケイン