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阿修羅掲示板の投稿の中でこれはと思ったものを転載します。


by wayakucha

今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)

今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/147.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 1 月 02 日 20:32:25: YdRawkln5F9XQ


今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)
http://www.asyura2.com/0401/idletalk7/msg/781.html
投稿者 リーマン 日時 2004 年 2 月 06 日 02:48:08:FagqpUDXKcu9o

今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)


「明治の成り立ち」を考えるに際してはこの陰謀論に触れざるをえないと思います。


子供の頃、親父に戦前の教育について話を聞くと、「戦前は天皇絶対であり、日本史では南朝正統、足利尊氏は極悪人、と教えられたんだ。」と折に触れて教えてくれました。

小学校6年になって一応学校で日本史を習ったあと、「でもさ、今の天皇は北朝系統の天皇なんでしょ。それなのに南朝が正統だってことは、戦前は正統ではない天皇を拝まされていたってこと?」と質問すると、親父は「そうだなあ。確かにおかしいような気もするが、当時はそんな疑問をいうような人間は回りに1人もいなかったし、自分も素直にそう信じていたんだ。」~と、全く回答にならない返事しかしてもらえませんでした。

この疑問は、皇居の楠木正成の銅像(明治33年、1901年完成)を見たときに決定的となりました。
北朝の天皇の住んでいる皇居が、南朝に最後まで身をささげた家来に守られているわけ?

な~んか変。ぜんぜん変ダゾ!

このガキの頃の疑問にその後答えてくれる人は現れませんでしたが、鹿島昇氏の本(題名忘れました)を読んで、ストンと了解してしましました。

結論をいうと、「北朝系の天皇は孝明天皇で終わり。明治天皇は南朝系の天皇である。」ということです。

この説明は、ガキの頃からの私の疑問には真正面から答えてくれますが、一方で「まさか本当にそんなことが」という気持ちも一抹残ったことも確かです。
しかし、今は「やっぱりこれが事実だったのだろう」と考えています。

この点については、直接の証拠を挙げることは出来ませんが、数々の状況証拠が挙げられています。
① まずは、徳川慶喜の動きです。ご存知の通り、彼はガチガチの水戸学の本場の出身です。その彼が北朝の天皇におめおめと敗れて水戸に帰ってきたとしたら、水戸の人々がそのまま彼を受け入れるでしょうか?

② 仮にお殿様だから受け入れたとして、幕末あれだけのエネルギーの元となった南朝イデオロギーが明治以降ぱったりと消えてしまっているのは、なんとも不思議ではありませんか。

③ 明治天皇の正式の奥さん(3歳年上)が、「○○皇后」とは呼ばれずに、「昭憲皇太后(*)」という天皇のお母さんとしての称号で呼ばれている、ということも極めて奇妙です。これはどう考えても変ですね。明治天皇という当時は神様みたいに扱われた人の正式な奥さんが○○皇后と呼ばれないなんてどう考えてもおかしい。当時の周囲の人たちにも皇后と呼べない事情を感じていたのでしょう。

④ 最後に挙げられるのは、伊藤の死後明治天皇は「南朝が正統」と自ら述べていることです。もし自分が北朝出身の人間ならば、そんなことを言うわけありませんよね。


明治天皇南朝説(明治天皇すり替え説)についての詳細については、上記文献のほか、手際よくまとめたものとして
http://www.ctk.ne.jp/~knagao/meiji.htm
等をご参照ください。


私が述べたいのはすり替え説を前提としたところからです。前述したことは、当時の海外の人間特に明治政府を間接的に作ったといえるイギリスから見てどう見えていたのでしょうか?

当時のイギリスが水戸学や南北朝問題に詳しかったとは思えませんのでこの「すり替え」のアイデアまでイギリスが出したとは思えませんが、この話を伊藤や岩倉から聞いた「アーネストサトウ、パークス、グラバー」等当時のイギリスの中心人物たちは「興趣に富んだなかなかオツなアイデアだと思う」といったのではないか、と想像しています。

明治の天皇制の枠組みが、江戸時代までのものとは異なり、実質的にはイギリス人の発案によって作られたものであることは以前申し上げました。イギリスから見れば、天皇制とは「日本人という新たに発見した土人を上手に治めるための道具」としての位置付けであったことは間違いありません。以前お話したインディージョーンズ魔球の伝説の中に出てくるシバ神の像のようなものということです。
このシバ神が発泡スチロール製であるのか金属製であるのかという問題は、人民を騙す側から見ればことの本質から離れた問題であるはずです。表面がおどろおどろしく畏まっているのであればそれで宜しい。
しかし、「天皇をすりかえた」という話を聞いたとき、イギリス人は「芸術的な騙しだ。全くもって素晴らしい。イギリス人ってそのような美的センスのある騙しって大好きなんですよ、伊藤さん・岩倉さん」と悦に入ったのではないか、と思います。

このときのイギリス人の心理状態は皆様も分かっていただけるのではないでしょうか。
例えば、我々がアフリカの奥地でデジタルカメラで原住民の写真を取り、「これは君たちの魂をこうやって吸い取る神物(シンブツ)なんだ。これを拝まなければ君たちの魂はすいとられてしまうぞ。」と脅してみたら、いきなり原住民達が、その場にひざまずいてそのデジタルカメラを拝み始めた、といった場面を想像してみれば分かるかと思います。
馬鹿だなあ、とは思うものの、チョッと愉快ですし、そのまま騙して帰りたい気にもなりますよね。

当時のイギリス人も、大室という長州の洟垂れ小僧に錦のベベを着せて、それに対して自ら神妙にお辞儀してみせる自分の姿に言いようのないおかしみを腹の底で感じていたでしょう。

これらの事実を今のイギリスは知っているのでしょうか?
大使館に赴任する日本大使は少なくとも引継ぎの中で教えられるのではないでしょうか。
「俺達イギリス人のご先祖さんが作ったカラクリ人形にこれから就任のご挨拶に行くってわけか、、。」
イギリス大使館が、皇居の入り口のすぐ近くに位置しているのは、偶然ではありません。
(日本は、これと同じ事を朝鮮でやって嫌われました。イギリス大使館は日本人にぜんぜん嫌われずに120年前と同じ場所に居座っています。)

幕末維新のエネルギーは南朝を正統とする尊皇攘夷・水戸学が精神的な支えになっていたことは皆さんご存知の通りです。吉田松蔭門下の連中は当然のことながら、西郷も先祖は南朝の菊池氏につかえた家柄であり、薩長それぞれの政治的なイデオロギーが「南朝の天皇を建て、異人を追い払い、独立を保つ」という共通した基盤に立っていなければ薩長連合も難しかったと思います。

それではなぜ、明治元年に、伊藤・岩倉・大久保らは、「北朝系の天皇を葬り、南朝(と称する)天皇を担いだぞ。正義は我々にあるぞ。」と(五箇条のご誓文なんか出す前に)高らかに宣言しなかったのでしょうか。
そのような国づくりの方法も選択肢としてはあったはずです。危ない橋を渡らなければならない可能性は強くなりますが、求心力はこちらの方が強かったのではないでしょうか?

理由はわかりません。ただ、彼らの姑息な性格を考えると「彼ららしい」ということは言えるかもしれません。
しかし、この明治政府の基礎の基礎の部分で「大嘘」をついてしまったことが、今にいたるまでの現王朝の基本的な性格(何かとこそこそ内輪だけで・小手先だけでごまかそうとする性格)を形作ってしまったのではないか、と思います。

そしてこの明治元年の王朝設立のドタバタの当初からイギリス(パークス・アーネストサトウ)は深く関与していた(少なくとも承知していた)という事実を再度確認しておきたいと思います。


以上、日本人にとっては、あまり聞きたくないような話をしてきました。
しかし、問題はここからなのです。
このような事実を知った上で、あなたは今の天皇制を支持しますか?

「120年前は田舎の百姓侍だったかもしれないが、それからもう長い時間も過ぎたことだし、今さら他から天皇を連れてくるわけにもいくまい。事実関係だけ表に出すに留めて、このままにしておいていいんじゃないのか。このような事実が明らかになった以上、天皇制について頭に血がのぼったような事を言う人も少なくなるだろう。北朝の血筋を引いている人には申し訳ないが、今後今の天皇家と婚姻関係を深めるなどして、これからゆっくりと遺恨を解いていくしまあるまいよ。」

「日本の天皇制が明治から今に至るまで、何かぐらぐらしていて、秘密主義で、妙に肩をいからせて、それでいて暗い影が付きまとっている印象がある理由がこれでわかった。日本が今の現状に行き詰まりを感じているのも事実だし、これらの事実が明らかになったのも何かの縁だから、これを機会に元の北朝へもどしてみてはどうだろう。」

「いや、今さら北朝に戻しても、更なる恨みを重ねるだけで、根本的な解決にはならないだろう。うそ臭い天皇制というものとこれを機会におさらばして、新たな日本作りに踏み出すほうがいいんじゃないのかな。国民としてもそのほうがすっきりとしてかえっていいと思う。そもそも明治以降の天皇制というのはそれ以前まではなかったものだし、なくなったとしても今の日本人はきっとうまくやっていくはずだよ。」

考え方は色々あると思います。私もどれがいいという意見を今固めているわけではありません。ただ、議論するときには、外部から借りてきた○○理論とか○○主義とかに寄りかかって決めるのではなくて、日本人自身が自分で考えて決めることが重要だと思います。
(それが民主主義的だからといっているのではなく、二度と騙されないようにするためです。)


一方で、自分が今為政者だったらこのことを公表するかどうかを考えてみると、恥ずかしながら、組織の歯車であるサラリーマンの私としては、意気地なしなのでそのままにしておくような気がしています。
「今の天皇制に問題があり、その根本原因がスタートラインにあることは重々わかるけれど、今さら公表するわけにはいかないなあ。自分の在任中だけでもなんとかだましだましつないでいくしかない。」と考えるような気がします。

そのようなことをつらつら考えると、このすり替え説が表に出て議論されるのは、現在の支配体制がすっかり代わった後でないと現実的には無理なのかもしれません。

そうすると、日本人が「自らの姿をキチンと過不足なく見る」ということはしばらくは無理であり、そこに付け込もうとする異国達は絶える事がない、ということになるのかな。


(*)
孝明天皇の息子睦仁(旧明治天皇)の奥さんとしてお嫁にきていながら、いつのまにか旦那が(新)明治天皇に入れ替わられてしまったという奇特な運命に生きた人です。
幕末に大室が明治天皇に成り代わったとき、伊藤・大久保・岩倉はどうして後に昭憲皇太后と呼ばれるこの女性を始末しておかなかったのかはわかりません。あまりにも忙しくてそこまで手が回らなかったのでしょうか。或いは、この皇后の実家ごと陰謀に取り込んだ可能性もあります。
新明治天皇もまさか自分が身代わりとなる前の旧明治天皇の奥さんを寝取るというのも気が引けたようで、御所の中で別居していたようです。新明治天皇が生きているうちは彼女も生きていられたようですが、新明治天皇がなくなって間もなくなくなります。(始末されたのではないか、と思っています)
by wayakucha | 2008-01-02 20:34