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阿修羅掲示板の投稿の中でこれはと思ったものを転載します。


by wayakucha

「チベット侵略」

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/1099/tibet.html




2001/07/01 日曜日
「チベット侵略」


チベットって知ってる?ユーラシア大陸中東部にある、南をヒマラヤ山脈と、他を西部支那地方と接する「世界の屋根」と呼ばれる所ね。


標高四千五百メートルの高地に位置するチベットは元々、宗教的権威であるダライ・ラマ法王(チベット仏教・ラマ教)が国家元首として治める、政教一致国家だったのね。因みに現在政教一致の国と言えば、ローマにあるバチカン市国か、イスラム原理主義諸国くらいね。


この国は清王朝時代から清の一部的な扱いを受けていたんだけれど、清朝が辛亥革命で倒されると、独立したのね(国民党政権はこれを認めていないけど)。一貫して親日的な外交スタンスを取っていた国で、第二次世界大戦中は連合国の強い要請を拒絶して、最後まで中立を維持した数少ない国なの。そして今この国は、残念な事に北京政府「中華人民共和国」の植民地なの。
悲劇の発端は西暦1949年の共産党による北京政府「中華人民共和国」の成立に始まるの。









北京政府は当初から国民党政権同様「西蔵(チベット)は中国の一部」と主張して、翌1950年に軍事侵攻を強行。'51年に「十七条協定」を強制して締結させて、事実上の併合を宣言したの。朝鮮人は日帝三十六年支配と言うけど、今年でチベットは「中華帝国五十年支配」半世紀以上も植民地のままで続いているの。
「十七条協定」は、名目上チベットの自治を認めて(西蔵自治区)チベットの風俗伝統を尊重する事が確認されていたんだけれど、実際に北京政府が行った事は、チベット民族文化への徹底的な破壊活動だったの。
特にチベット仏教への弾圧は厳しくて、布教活動が禁止され、次々と寺院が破壊されたの。宗教を敵視する共産党による弾圧ね。
1959年、弾圧に抵抗する民衆が「ラサ決起」の挙に出たんだけど、駐留していた人民解放軍(北京政府軍)に鎮圧され、粛清(虐殺)されたのね。これが後に「血塗られた金曜日」と呼ばれた事件ね。
そこで、ダラ・イラマ十四世がインドに亡命して「チベット亡命政府」を樹立したの。今日まで続く亡命政府は、内閣と人民代表委員会(国会)を擁して、1963年には民主的な憲法典を発布してるのね。
これ以後も、北京政府による弾圧は執拗に続けられて、1966年の悪名名高き「文化大革命」では、チベット的な伝統文化は全て弾圧・破壊の対象になったの。
チベット人の抵抗は今でも続いていて、1989年に起きた決起では、北京政府による千人近い虐殺が行われているの。
北京政府も馬鹿じゃなくて、チベット「自治区」誕生('65)以降「民族同化政策」によって漢民族の流入が進められて、現在の人口比ではチベット人六百五十万人よりも、漢民族七百五十万人と漢民族の方が上回るという結果になっているの。文字道理「植民地化」ってワケね。
1987年には、ダライ・ラマ十四世がアメリカで「和平五項目提案」を発表し、翌年にはヨーロッパ議会による妥協案が提出されたけど、北京政府はこれらを悉く拒絶し続けているの。
更に北京政府は1995年には、ダライ・ラマ十四世の後継者問題に介入して、当時五歳の幼児を「パンチェン・ラマ十一世」としての擁立を強行して、欧米各国の非難を浴びてるの。昨年一月に起きた、チベット仏教の活仏カルマパ十七世がチベットを出国して、ヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命した事件なんかは、記憶にある人もいるんじゃないかな?









チベット亡命政府の集計によると、1950~'84年の間に発生した、武装蜂起による犠牲者、北京統治政策に起因する餓死者、獄死や強制収容所での死者、拷問による死者や処刑者、自殺者等の合計が百二十七万七千三百八十七人(1,277,387人)に達しているそうよ。これは全人口の約二割に当たる膨大な犠牲者数なの。
この数字はノーベル平和賞を受賞した国際的人権団体「アムネスティ・インターナショナル」も認めていて、後に国際司法裁判所が「計画的組織的大虐殺」と称した通りね。北京政府が主張する南京「大虐殺」どころの騒ぎじゃないわね。
現在でも、多くのチベット難民が隣国の、インドに十万人、ネパールに二万人等、欧米各国も含む多数の国々での生活を余儀なくされているの。
またチベット亡命政府の証言によると、チベット(西蔵)自治区の監獄には、今なお千人以上の「政治犯」が監禁されていて、更には亡命しようとして北京政府の国境警備兵に逮捕され、強姦される女性も後を絶たないそうよ。これが、戦時日本軍の慰安婦問題を高らかに叫ぶ民族のやることなの?
ダライ・ラマ十四世は昨年二月のBBCテレビのインタビューで、「もう譲歩しない。私は怒っている。私が生きていようといまいと、完全な自治が実現しない限り、チベット問題は残る」と熱く語っていたわ。
法王は自らの地位を「仮の物」と位置づけていて、「未来のチベット政府は選挙で構成されるべき」であり「宗教的な人間は政治の外にとどまる方がいい」とも語っているの。
これで解る様に、チベット亡命政府は「人権」を尊重する民主主義的政府なのね。だから、彼らには祖国に帰る権利もあるし、私達は何とかして虐殺を止めなきゃいけないと思うの。それが国際社会のなすべき事じゃない?
なのに我が日本と来たら、ダライ・ラマ十四世が来日した際も、北京政府の圧力に屈して彼の政治活動を妨害していたし、マスメディアなんて無責任に、チベット侵略があった当初は「中国によるチベットの開放」だの「民主革命」だのと大賞賛して、未だに反省していないのね。
こういった北京共産党政権による漢民族の侵略は、チベットだけじゃなく、新彊維吾爾(シンチャンウイグル)自治区を始め、各少数民族に対しても行われているの。
私達日本人は、かつての侵略の反省からと称して、彼らの横暴に目をつむっていたらいけないと思うの。
by wayakucha | 2008-03-16 19:28